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「今日を掴む」前編

インタビュー

黒川清先生

 

役職

 

専門は腎臓内科、医療政策、科学政策

日本医療政策機構 代表理事

認定特定非営利活動法人Teach For Japan理事

一般社団法人HLAB理事

医療法人社団松和会理事長

 

 

キャリア

 

62年東京大学医学部を卒業し、同大大学院医学系研究科で博士号を取得。69年に渡米し、79年にUCLA内科教授。83年に帰国し、東京大学内科教授、東海大学医学部長、日本学術会議会長、内閣府総合科学技術会議議員(03-07年)、内閣特別顧問(06-08年)、世界保健機関(WHO)コミッショナー(05-09年)などを歴任し、国会福島原発事故調査委員会委員長(11年12月-12年7月)、公益社団法人グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund: Global Health Innovative Technology Fund)のChair and Representative Director(13年1月-18年6月)。現在、内閣官房健康・医療戦略室参与、マサチューセッツ工科大学客員研究員、世界認知症協議会(WDC: World Dementia Council)メンバー、ハーバード公衆衛生大学院John B. Little (JBL) Center for Radiation Science 国際アドバイザリーボードメンバー、政策研究大学院大学名誉教授、東京大学名誉教授。賞歴は腎研究会特別功労賞、アジア初の「科学の自由と責任賞」、Distinguished Achievement Award。勲等は紫綬褒章、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ章、旭日重光賞。

 

 

グローバル世界の中での日本の教育

 

――長年、日米で教育に携わってこられた黒川先生は世界から見て日本の大学教育についてどう思われていますか?

 

この20年で世界は激変しました、グローバル世界です。「グローバル世界」では、多様性・異質性・ユニークさが大きな価値を持ち、世界はタテからヨコへと広がり、個人の力量も世界から見られてしまう「フラットな世界」となっています。そんな中で、大学もどんな学生を育てているのか、世界から見られ、評価されています。将来を担う広い世界の同世代が相互理解を深める、国家を超えた多様で多彩な個人のつながりと信頼こそが、これからの世界には必須の要件であると、世界の一流大学は認識している。世界ではHarvard Medical Schoolの「New Pathway」やRochester大学の「Double Helix Curriculum」、McMaster大学の「PBL」などの教育改革が行われてきましたが、日本の大学は多様性に欠け、均質性が高く、国際性が低いままで、本質的には日本は江戸時代のままです。日本の医学部教育の評価は欧米では高くないですし、成長するアジアでの評価も高いとは言えない。一方で、大学院などでの研究分野では留学先の評価は高い。勤勉であるし、基本的には優秀な研究助手の供給先という認識です。

 

――海外(イギリス)では改革の一番の抵抗はold boy’s network [BMJ]だという記事を読んだことがあります。日本ではなぜ現状が変わらないのでしょうか?

参考:https://blogs.bmj.com/bmj/2018/12/07/staffing-problem-nhs-lack-flexibility-answer/

 

日本の大学は東大を頂点とした「家元制」で、みんな教授の後継ぎになることしか考えていないのかも知れないですね。「家元制」では偏差値の高い東大というヒエラルキーの中に入ろうとしても、部外者は出世できない。医者は社会的なファンクションがあるので、そのような組織から離れる事も出来ますが、銀行員や役人など、なかなか組織から離れられない場合だってあります。

 

そのような状況で、医学部教育にしても、教育の目的は「国家試験だけ」という寂しい状況です。さらに国立大学法人化などの影響でもともと手抜きだった教育はそっちのけで研究費の競争をしています。医学部以外の学部でも同じような状況で、日本の教育は「偏差値の高い大学に入る事」に重心が置かれているため、いざ入ると勉強する必要はなくなるわけです。先生もそんな道を歩んできたわけですから、自分が学んだ以上の事は言えないわけです。

 

一方で、アメリカの大学に入試というシステムはありません。どうしてでしょうか?逆に、日本ではなぜ入試があるのでしょう?今まで疑問に思わなかったのはそういう中で教育を受けてきてそれが当たり前だと思っているからです。

 

――日本の教育はどうすれば変われるでしょう?

 

日本の教育システムは終焉にきているが、みんな抵抗している、それが平成30年だったと思っています。これまで世界はグーテンベルグによる「情報の拡散」によって触発された西洋文明と西欧の科学の急速な発展に支えられた産業革命以来のパラダイムで動いてきたと思います。平成はインターネットの普及とともに始まり、この30年間で情報はずいぶん広がりました。情報の拡がり、発信、アクセスなどが従来とはすっかり変わり、社会の在り方が大きく変わり始めている。「従来の権威」は終わりへと向かい、新しいパラダイムへと急速に変わり始めていると思います。

 

 

「個人」として世界に「他流試合」に出る

 

――黒川先生の時代は留学していた先生方は比較的多かったような印象があります。

 

そうですね。私たちの時代、アメリカは憧れの地でした。臨床免許をとってそのままアメリカで臨床医になる人もいました。

 

一方で、「紐付き」の留学も多かったですね。キャリア上の必要性から留学するだけなので勉強する必要はない場合もあります。ポスドクでリサーチなどして新しいテクノロジーを日本に持って帰るのが仕事で、当時は医師だけでなく大企業や役所からの留学でも同じような状況でした。

 

なので、当時、教授は持ち帰られたテクノロジーで新しい論文を書く事ができました。しかし、そのような背景からアメリカからの技術の移植は多かった一方、本当の意味で「教育」を受けてきた人は少ないと言えるでしょうね。そのようなキャリアが引き継がれてきているので、基礎系はともかく臨床系でも研究中心で教授になった人たちが圧倒的に多いわけです。

 

――「個人」で留学する事が重要という事ですね。

 

プール、次に川で泳ぐ練習をしてから海に出て、そして海から帰ってきて山の人間に「海はしょっぱかった」と言ってもダメです。実際は陸にロープを繋いで浮いていただけですから。

 

 本当に浮き輪もなく海にでれば、それなりに波もあるし、その荒波の中でサバイブしなければならない。「個人」で留学するとはそういう事です。

 

――では、黒川先生自身の留学体験で最も印象に残っている事は何でしょうか?

 

ペンシルバニア大学へ留学した時に担当教授のラスムッセン先生に初対面で言われた3つの事ですね。

 

「留学は君自身のためだ。君はこの2年間、独立した研究者になりなさい。君が自分で考えて好きなテーマを研究しなさい。もし、アイデアがなければ2つ、3つ言ってもいいよ。」

「もう独立した個人なのだからセミナーでもカンファレンスでも自分の意見を言いいなさい。」

そして「英語がわからない時はわからないと聞き返しなさい。わかったような顔をしてはいけない。」という事でした。

 

衝撃でしたね。日本では考えられないようなその言葉に触発され、腎臓の細胞機能に関する研究に没頭しました。そこから一年、また一年と帰国を先延ばしにし、気が付けばずっと米国に留まっていました。「他流試合」の連続でしたが、「個人」を評価してくれる環境が心地よかったですし、その過程でたくさんのメンターやロールモデルと出会う事も出来ました。

 

 

「頭」と「心」と「へその下」

 

――もともと、医師になろうと思ったきっかけは何でしょう?

 

私の家は代々医師家系で、私は長男だったから小さい頃から「医者になれ」と言われていました。私が医者の道に進んだので、弟は2人とも工学部に行きましたね(笑)

 

当時はそんなものです。真面目に考えてなかった。

 

――黒川先生はなぜ腎臓内科の道に進まれたのでしょう?

 

その当時、診療科は「これは嫌だ」と思うもの以外は何でもいいと思っていました。当時、教授に「腎臓やらない?」と言われて腎臓内科医になったというのが正直なところです(笑)

 

――30代でアメリカに行ったきっかけは?

 

みんな行っていたからです。そんなもんだった(笑)。

 

慢性透析をテーマに学んで来いと言われたのがきっかけです。その後、虎ノ門病院に出向し、1年で腎センターを開設しました。その後は、1年間助手をして、医師7年目にして渡米しました。

 

そういえば、当時は回診の度に教授が最新の研究結果や面白い症例を紹介するなどしていましたが、今ではあまりそういう光景は目にしなくなりました。当時、NEJMを持っていたのは教授だけで、高くてみんなが買えるようなものではなかった。そういった回診における情報の非対称性も、コピーマシンによって解消されましたね(笑)

 

――留学に行くまでは意外にも「普通」の医師だったのですね。では、そこから留学を経て、国際的な論客として今のような立場に至った経緯や考えはどのようなものでしょう?

 

それは私にもわかりません。

 

ただ、私は自分があるポストに就いたときにそのポストができた経緯や歴史、世界的な流れを意識し、自分のするべきことのプライオリティを考えないといけないと思っています。

 

私は2年間基礎研究をしてみて、「基礎研究は自分には合わないな」と思いました。自分で問題を設定して、それを解いている限りThat’s your problemだから。

 

ペンシルバニア大学へ留学した時、教授から「自分でやりたいテーマを考えろ。」と言われ、「わからないからテーマをください。」となるのか「こんちくしょう、やってやる。」となるのかはその人の性格です。

 

大事なのは「頭」と「心」と、そして「へその下」(英語でgutsガッツともいう)です。

 

頭は、人間が習得した知識や経験を集積する場所で勉強によって情報量を増やせますが、将来的には知識量ではAIに負けると言われています。心は、実体験を経て鍛えられ、身につき、豊かになるものです。

 

そして、もう一つ大事な「へその下」です。人間は生きていくうえで毎日何かを選んでいますよね。右か、左か、とか。へその下は自分が下す全ての判断の基準となるものだと私は考えています。

 

それを形成するのは、両親の性格や、経済的な背景、兄弟構成、通った学校の校風などです。生まれた後、周囲からの影響を受けてだいたい10歳までに自然に形作られます。

 

「決める」という行為は2パターンで、右に向けばコンサバ、左に向けば天邪鬼という事です。私は「へその下」が左に向いていたという事です。

 

つまり、まず世界が変わっていく中で、自分は何をしなければいけないのか、自分の客観的な立ち位置を理解する事が大事です。そして、自分のやりたい事はいろいろあるけど何が一番大事なのかは人によって違います。その時に何を選ぶのかは自分のバックグラウンド、つまり「へその下」で決まってきます。

 

 

「今日を掴む」後編

へ続きます。

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