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「最前線、カンボジアで学ぶ「日本らしい医療輸出」の強み」前編

林 祥史先生

林 祥史先生

 

役職

 

・Sunrise Japan Hospital Phnom Penh(カンボジア・プノンペン)院長

・脳神経外科医、総合診療科医

 

 

キャリア

 

1999年灘高校卒, 2005年に東京大学医学部医学科卒業。

亀田総合病院の海外留学枠コースで初期研修を修了、同院脳神経外科後期研修課程に進む。

2009年、医療法人社団KNI北原国際病院脳神経外科に移る。

2013年に同院脳血管内治療部長となる。臨床業務と並行して、北原国際病院が主導する海外事業プロジェクトにも従事し、カンボジアプロジェクトではプロジェクトリーダーとして調査事業から参画。

2016年にサンライズジャパン病院開院時より院長として現地赴任。

 

 

記事紹介

 

安倍政権が掲げる「日本再興戦略」。その成長戦略の一端を担う「健康・医療戦略」では「質の高いインフラの輸出」の一環として、日本式医療の海外展開が挙げられています。日本の医療輸出の形としては主にNPOなどによるボランティア、JICAによる保健医療事業、厚生労働省による医療インフラの輸出、経済産業省によるヘルスケア拠点の構築などを通して行われています。今回はそんな医療輸出の分野で経済産業省とタッグを組み、民間病院でアジアに打って出る北原国際病院、その最前線であるカンボジアで病院長を務める脳神経外科医林祥史先生に取材に行き、医療輸出や自身のキャリアについてなど様々なお話を聞いてきました。

 

 

 

<インタビュー本編>

Sunrise Japan Hospital Phnom Penh

 

海外への想いを抱いた学生時代

 

――医師を目指したきっかけは?

 

高校1年生の進路を決める時に当時見ていたドラマがきっかけでした。目に見えて人助けができる医師という職業に惹かれ、自分のしたい事はこれだと思い、医学部を志しました。

 

――東大での学生時代はどのような学生でしたか?

 

最初の4年間はテニスサークルに所属し、幹部としての役割がありましたので大学にはあまり行っていませんでした(笑)

医学部というのは往々にして特殊な環境ですが、テニスサークルでは医学部以外の学生も多く、イベントなどを通して色んな人と関わる事ができ、その中で多くの刺激を受けました。サークルでのイベントの企画や運営を通して、団体の中で仕切ったり、計画を練ったりすることの楽しさを実感しました。

 

――学生時代にUSMLEを取得されていますね。

 

はい。そもそも、せっかく医師になるなら国境関係なく世界を舞台に活躍したいと思っていました。大学4年生の時、5年生の始めにアメリカに3か月留学できる枠があることを知りました。そしてそれに申し込むには、USMLE step1を取得していることが条件でした。

それまで最低限でしか大学に行っていなかったのですが、これを機会にきちんと勉強したいと思い、USMLE受験のための勉強を始めました。僕の基礎医学の知識はほとんどこのUSMLEの勉強から積みあがってきたのだと思います(笑)

 

USMLE Step1を取得後、無事に海外留学に参加する事ができ、オハイオ大学に3か月間行かせてもらいました。一般外科と脳神経外科に所属させていただいたのですが、学生ながらに感じたのは、「手術などに関しては東大など日本の先生方の方がきめ細かく、丁寧な手術をしている」という事でした。海外留学の前にいくつか日本の病院も見学させてもらったうえで渡米したのですが、日本の先生方の手際の良さや慎重さは、海外で見させていただいた症例と比べると明らかに上手でした。手術に対する価値観や考え方が違うのかもしれません。その当時から、将来の進路として脳外科医を考えていたので、医師となってから留学という進路についても意識してきましたが、手術技術の研鑽のために敢えてアメリカなど先進国と言われているところに留学をする必要はないかもしれない、という想いが芽生えました。

 

――林先生が所属している北原国際病院グループの北原先生との出会いについて

 

東大医学部では3年生が文化祭運営を担当しますが、その中で東大卒の医師にインタビューをする企画を行いました。インタビューしに伺った16人の先生方のうちの1人が北原先生でした。名簿を見たら若くして脳外科で開業して成功している先生がいると聞き、私が直接お話を聞きにいったのが最初の出会いです。北原国際病院に行ってみると、ホテルのような病院で、カスタマーサービスも充実している等、今までの見てきたどの病院とも異なる雰囲気にとても驚きました。

 

今でこそそういった部分にも注力している病院は多いですが、当時としてはかなり珍しかったと思います。当時から目指していた海外展開の話など、医学部では学ばないような話をたくさん聞き、それがとても刺激になったと同時に、経営の面など当時から独自の考えを貫いて病院を運営していた北原先生に凄さを感じました。

 

 

――北原国際病院へ転職した理由は何でしょう?

 

亀田総合病院で初期研修終了後、そのまま同院で脳外科医として2年研鑽を積みました。脳外科専門医になるのは後2年の研修が必要な状況ですが、海外留学を含め、世界を舞台に活躍したい、という気持ちはありつつも、どうしたらよいのか、当時まだ具体的には思い描けていませんでした。海外への道も含めて次のステップについて考えていた際にもう一度北原先生に会いに行こうと思い、お会いしに行きました。

 

7年ぶりに北原先生にお会いしてみると、最初にお会いしたあの時と変わらない情熱をもって様々な事に挑戦し続けておられ、ちょうどカンボジアへの病院輸出プロジェクトが動き出すというお話をお聞きしました。また、脳外科病院としても都内で有数の症例数を誇る病院にまで発展していました。脳外科医として進んでいくキャリアと、医師を志した時から抱いていた海外への想いがリンクして北原国際病院への転職を決心しました。

 

――いつからカンボジアに来るようになったのでしょうか?

 

ちょうど私が赴任した年から、カンボジアにおける医療状況の調査という形で北原国際病院が国の予算を取得しましたので、その一環としてカンボジアに来させて頂きました。最初2年間はボランティアとして診察をしたり手術を行いながら、現地の医療状況を探りました。調査では、民間病院として海外展開する以上は継続的に事業を行えるのかという点も重要で、医療面以外の周辺状況も、チームで調査を行いました。

 

 

経済でも臨床でも医療の輸出は必要

 

――なぜ海外への医療進出が必要なのでしょうか?

 

いろんな側面があると思いますが、私は基本的には日本は国全体で積極的に海外へ出ていくべきだと思っています。日本の医療技術や医療機器はかなり先進的でハイレベルですが、現状としてほとんど海外にはでていません。一方でカンボジア、ミャンマー、ベトナムなど、既に世界中の各国が医療を半分ビジネスとして展開しています。例えばここカンボジアでも、タイやベトナム、フランス系の病院があり、もうすぐ韓国資本の病院も設立される予定です。外国資本の病院を必要としている国はまだ沢山あると思いますし、日系の病院が、日本人医療者と日系の医療機器を携えて医療を行えば、十分通用すると思っています。

 

――日本の人口が減少し、あらゆる市場も収縮していく中で医療を産業化できれば日本経済に与えるインパクトも大きいですね。医療費40兆円を国の負担にするのではなく一部を産業化する事で経済が潤えば、その意義は大きいのではないかと感じます。

 

そうですね。ビジネスの面ではそうかもしれませんし、またビジネス以外に臨床の面でも海外に出ていく意義は大きいです。

今後、日本ではさらに高齢化が進んでいきますし、出産数の減少、外傷の減少などで、これまで培ってきた医療とは異なった疾患分布になることが予想されます。高齢患者が多い診療科などは症例数が集まりますし、これまでの医療の質は維持されるでしょうが、一方で小児科や産婦人科、外傷外科などは、症例数が減少していきます。せっかく世界の最先端の技術、品質を誇っている分野でも、患者が減れば医療の質の維持も難しいかもしれません。キャリアの途中で医療者が海外に出る事で、日本だけではなかなか得がたいような症例数や臨床経験を積み、結果的に国内の医療の質の担保も可能になるという意味でも重要だと考えています。

 

ビジネスの側面では、海外展開は必然とも言えます。例えば、日本が誇る自動車産業にしても、もし日本で日本人向けにだけ自動車を製造していたら世界に誇る産業にはなっていないと思います。技術や競争力のある企業はどんどん海外に出て行き、発展していく事で、それが結果的に日本のメリットにもなるのです。医療は半分公的な分野なので見えにくい部分もありますが、日本の医療の発展のためにも、もっと積極的に海外に出ていく必要があると思っています。

 

反対意見として、「日本でも医師不足が叫ばれる昨今の状況の中で海外に出るのはとんでもない」と言われることもありますが、私は日本の医師不足は医師が海外に出ていくのが問題なのではなく、もっと別次元の問題かなと思っています。臨床を行わずに基礎研究をしている医師も沢山いますし、彼らも日本の医療には間接的に貢献しています。同じようなことだと思っています。

 

 

――数々ある国の中で最初の展開先はなぜカンボジアなのでしょうか?

 

カンボジアを選んだのは私ではなく、北原先生やそれまでのスタッフの方々でした。北原グループが世界への展開を考え、受け入れる側の国と双方のニーズが一致していると思われた国がカンボジアでした。

 

私たちがカンボジアを最初の展開先に考えた理由には大きく4つの要素があります。

 

第1の要素は医療と経済の解離です。その解離を説明するためには少しカンボジアの歴史を振り返る必要があります。カンボジアでは1970年代のポルポト派による内戦時代に国民の半数近くが虐殺されたという悲しい歴史があります。特に宣教師、医師、大学の先生などの知識層が市民革命の芽になり得ると政権の標的にされ、眼鏡をかけているだけで虐殺されたと言われるほど徹底されたそうです。そのような状況だったこともあり、内戦後に生き残った医師は41人しかいなかったというデータもあり、医療は文字通りの壊滅状態でした。それから約40年が経ち、経済は大幅に回復し、中間所得層も拡大し、富裕層も増えてきました。そんな経済成長の裏側で医療は内戦以来の爪痕をずっと引きずっているというのがカンボジアの現状です。教育体制まで崩壊した医療の復旧はなかなか一筋縄ではいかないようです。

 

――政治が安定すると経済は数年で大きく伸びる事がありますが、マンパワーにたよる医療はそういうわけにはいきません。そこに医療と経済の解離が生まれるわけですね。

 

そうですね。日本でも医学部から考えると15年くらいしてようやく一人前の医師が育ちますが、カンボジアでは教える立場の医師も殺されてしまったので本当に厳しい状況でした。医師国家試験制度ですら3年前に、看護師国家試験も2年前にやっと始まったところです。専門医コースはほとんど整備されておらず、脳神経外科は国による専門医が誕生してまだ2年です。そのような状況なので、カンボジア人はちょっとした風邪や腹痛などで車や飛行機にのってタイやベトナム、シンガポールへ行き大金を払って医療にアクセスします。国民が皆、自分の国の医療を信用していないのです。それがSunrise Japan Hospital開院前のカンボジアの状況でした。

 

第2の要素は親日国だという事です。内戦時代から一番の支援国は日本で、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)統治時代の事務総長特別代表も日本人の明石康さんでした。この国の道路や橋、水道などのインフラ整備もほとんど日本が行ってきた歴史がありますし、カンボジア人たちもそれを知っているので、他の東南アジアのどの国より日本という国に対する高い信頼がありました。「外国人医師に命を預ける」という事は通常、すごく不安に感じられると思いますが、カンボジアではむしろ日本人医師なら受け入れられる。薬も日本製をあえて希望されることも多いです。この親日国という要素は私たちにとって大きなメリットでした。

 

 第3の要素は価値観が近い事です。カンボジアは仏教の国で、西洋的な契約社会ではありません。病院での病状説明やインフォームドコンセントなどを含めた日常診療が日本と同じ肌間隔で行えます。約束を守ったりといった、まじめな気質も日本に近いように思います。

 

 第4の要素はASEANに属しているという事です。ASEANの一カ国であるカンボジアで実績を積む事は、これから先にアジア諸国への展開を考える上で重要なポイントになると思っています。他のASEAN諸国に病院を設立する際に、同じライセンスや同じ医療機器や医薬品の使用、患者や医師の行き来がしやすいのではないかと考えています。

 

 

日本政府公認のプロジェクトに

 

――カンボジアといえど展開に際して、様々な規制があったり、かなりの額の投資が必要だったりと、民間病院だけで医療輸出を行う事は難しいと感じます。病院輸出に必要なものとはいったい何でしょう?

 

カンボジアの場合は外国人が開院してはいけないというルールはありませんでした。許認可制となっていて、外国人であっても外国資本であっても病院を開設できるわけですが、とはいえ、途上国ではよくあるように、コネがあって信用してもらえないと、認可してもらえないという状況があります。実際に我々も許認可の申請で2年ほど足踏みしましたし、いかに信用してもらえるかというところが一番大変なところでもあります。

 

そういった時、日本政府が我々をバックアップしてくれました。調査事業の段階から経済産業省の予算を戴いていたこともあり、当時の野田首相や安倍首相がカンボジアに訪問された際に、「質の高い医療インフラの輸出」ということで首相から直接カンボジア政府に口添えしていただきましたし、我々が開催した医療セミナーに来て挨拶して戴いたりもしました。我々、民間企業単独でなく、政府のバックアップがある事で日本のプロジェクトとみて頂き、許認可申請の事務作業を進めることができました。

 

日本政府にとっても、我々の「日本式医療のショーケースとしての病院丸ごと輸出プロジェクト」という側面は、日本政府にとって後押しする理由になったのだと思います。

 

 

前半終わり。

「最前線、カンボジアで学ぶ「日本らしい医療輸出」の強み」後編

へ続きます。

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