澤 憲明先生
キャリア
・英国家庭医(GP)
日本の高校卒業後、渡英し、Aレベルを経て、2007年レスター大医学部を卒業。初期研修プログラムの後、2012年英国総合診療専門医教育および認定試験(MRCGP)を修了し、同年より英国リーズ近郊の診療所に勤務。NHK「視点・論点」に出演するなど積極的にプライマリ・ケアについて発信している。
現在、朝日新聞GLOBE+にて「英国のお医者さん」を連載中。
(URL→ https://globe.asahi.com/article/11584656 )
とても面白く、編集部一同超お勧めです!!
今回のインタビューはリーズ郊外にあるブルワリー、Northern Monkにて
<目次>
イギリスで見つけた挑戦
イギリス医学部の実践教育
病院で感じた限界とコミュニティ医療に見た可能性
プライマリ・ケアは世界的潮流
日本は何が問題なのかを判断する為の民主的合意が取れていない
医師としての責任
イギリスで見つけた挑戦
――医師を志したきっかけとイギリスに来た理由は何でしょう?
実は僕が医師を目指したのはイギリスに来てからなんです。
高校卒業後に将来自分が本当に何がしたいかわからず、姉がイギリスに留学していたこともあり、自分探しも含めてイギリスに来ました。当時は英語が話せず、ロンドンの語学学校に1年間通いました。
色んな人と会う機会があり、その中で自分は勉強が好きであること、そして人に興味があることに気付き、それが医師を目指そうと思ったきっかけです。
日本で医師になるか、それともイギリスで医師になるかを考え、ブリティッシュ・カウンシルというイギリスの大学に留学するためのアドバイスを提供している機関に相談しました。そこで「日本で生まれ育った人でイギリスの医学部に入学した前例はない。日本に帰った方がいいのではないか」と言われた時に「これだ!!」と思いましたね。
将来は「人の痛みがわかる医者になりたい」と思っていましたが、いままで恵まれた環境で育ってきて、これといった苦労も知らなかった。ずっと挑戦できる何かを探していました。僕にとってはそれが「イギリスの医学部への挑戦」でした。後にわかった話、過去に日本人でイギリスの医学部を卒業した人はいたみたいですが(笑)。
――それでイギリスの医学部に進学したわけですね
イギリスでは医学部に進学する際、Aレベルと呼ばれる全国統一試験を受ける必要があり、一般的に二年間でこの試験のための集中的な教育を受けます。実は日本の高校卒業資格は、この前の段階の中等卒業資格(GCSE)という位置づけなので、医学部に挑戦するためにはまずこの2年間の教育と試験を受けなければいけませんでした。
――どのように大学を選びましたか?
その当時、イギリスには医学部が30前後あって、すべて国立でした(今は私立もあるようです)。臓器別だけではなく、社会学、心理学、地域に向けた観点のほか、コミュニケーション能力にも焦点を当てた新しいカリキュラムを作っていたのがレスター大学で、僕の目指す医師像とのマッチを感じ、受験した結果、合格することができました。
――医学部入試はどのように行われるのでしょう?
まず、当時はEU外からの外国人枠は合格者全体の大体一割以下に収まるようにコントロールされていて、その枠を争う形になります。海外からの留学生はIELTSと呼ばれる英語検定試験を受け、レスター含め多くの医学部では7.5以上の点数を必要とされました。
その後、Aレベルの成績が評価されます。AからEまでのグレードがあり、医学部に入る場合には、「オールA」を取るのが事実上、必要最低条件でした。
そのほか、書類審査と適性試験があり、書類審査では今まで医学系の勉強や活動をやってきたのか、部活の成績はどうだったのか、ボランティア活動はどうなのか、といった幅広い項目が評価されます。適性試験では問題解決能力、データ分析能力、論理的議論の進め方などが試されます。
これらに合格すると、次は面接があります。日本という先進国から来た僕が、なぜイギリスの医学部に入学するかを何度も聞かれました。イギリスの医学部は国際的に人気があり、自国にメディカルスクールがない国だけでなく、ヨーロッパや北米などからも学生が来ます。とにかく、「自分にチャレンジしたい。過去の自分を乗り越えて、新しい自分を見つけたい」ということをアピールしました。
イギリス医学部の実践的な教育
――医学部のカリキュラムはどのようなものでしたか?
大学によってカリキュラムは多様ですが、レスター大学では、5年間が2年半ずつに分かれていました。最初の2年半は、キャンパスでの講義やグループワークなどを通じて基本的なことを主に学びました。
自主性に任されている部分も多く、大量のreading listがあり自分で勉強しないといけない部分も多かったです。講義のスライドはウェブ上にアップされ、後から見れる仕組みでした。
授業内容は「正解をピンポイントで教える」というよりは、学生たちに「なぜを追求し、順序を追って自分の言葉で説明を求める」ものが多かったと思います。物事を理解した上で、答えをロジカルに発展させる力が必要なので初めは慣れるのに苦労しましたね。
また、問診や身体診察を非常に大切にしており、1年生の時から、コミュニケーションスキルなどのトレーニングが徹底して行われました。
患者さんへの問診の仕方を学んだ後は、模擬患者さんに一対一の面接を行い、それを撮影し、後でグループみんなで振り返り、チューターのGPからフィードバックを受けたりするなど、とても実践的な内容でした。週1回くらい病院に行き、ベッドサイドで身体診察の仕方も少しずつ学びます。2か月に1回は慢性的な疾患を抱える患者さんの自宅を訪問し、その患者さんや家族を継続して診させてもらったりしました。
医師はチームの一員として働くことも大切だという事で、多職種連携教育(Interprofessional Education:IPE)と呼ばれる、看護師やソーシャルワーカーなどの他のコメディカルの学生達と一緒に難しい事例などを地域でどのように解決するかといったグループワークもありました。
後半の2年半は臨床実習がメインになります。実習は7週間毎のローテーションでGP含めてほぼ全科回ります。Consultantと呼ばれる指導医の外来や回診についてshadowingする以外にも、実際に自分で患者さんからお話を聞いたり比較的自由な内容でした。指導医と共に当直に付くこともありました。
日本のような国家試験はなく、卒業試験に合格すれば、医師資格が得られます。また、在学中にある専門分野に興味が湧き、それだけをさらに深く勉強したい場合はもう1年勉強できるようになっています。
――部活等はされていましたか?
かなり熱心にやっていました。バスケ部でキャプテンも経験し、仲間たちとイギリスの医学部の大会で優勝できたのは良い思い出です。
印象的なエピソードは医学部長が入学式のときに「勉強だけするな」とレクチャーしたことで、学生時代は勉強だけでは足りない。自分の人間としての枠を超えて成長していきなさいと言われたことです。
「Work hard,Play hard」という伝統的な文化があってそこをみんな大切にしていましたね。誰よりも勉強しろ、誰よりも遊べ、という事でみんな部活動やボランティア活動なり勉強以外にもう一つ何かをしている人が多かったように思います。
――卒業試験の内容を教えてください。
筆記試験と臨床試験です。筆記試験は3時間を2回くらい。いろんな症例設定で、どんな質問をするかなど、鑑別診断の流れとその理由などを回答する形式です。
臨床試験の試験官は2人いて、そのうち1人は外部から招かれた先生で、僕の時にはさらに、それら試験官を外部評価する試験官がもう2人いました。診察室に入ったらあまりの人の多さにびっくりしました(笑)。
臨床試験では、日頃大学病院の外来に通っている実際の患者さん4~8人を診察します。問診で何を聞くか、身体所見で何を診るか、検査は何を選択するのか、なぜそれを選ぶのか、あるいは、なぜこの検査はやらないのか。一つの確定診断を上げるのではなく、「確率的にこちらが考えられるので、そのための検査を先にやる」「譲れない疾患があり、確率的には低いけれども、こうした検査もやる」など、一つひとつの行為を正当化しながら、進めることが求められます。
試験官から診療をベースに、病理学、薬理学、生理学などさまざまな観点から質問されることもあります。
病院で感じた限界とコミュニティ医療にみた可能性
――卒業してからすぐにGPの道に進まれたのですか?
実は当時は循環器内科に興味があり、GPにはあまり関心を持っていませんでした。映像で覚えるのが得意で、心電図を見れば視覚的に心臓が浮かび上がってくる感じがして好きな分野でした。初期研修2年目までは循環器内科を目指していましたね。
きっかけは内科で研修をしていた時でした。急性期病院の病棟では急性冠症候群、喘息・COPD急性増悪、上部消化管出血、急性混乱や転倒などの患者さんが毎日たくさん入ってきていました。僕らが急性的な処置をして帰しても、また同じ人が病院に戻ってくる。喫煙をやめないとか、アルコールを大量に飲んでいるとか、薬を指示通りに飲んでいないとか……。よく話を聞くと、処方された薬についてもあまり理解していない。
ある時、患者さんに思い切って「あなたの病気の根本的な原因はアルコールです。それをどうにかしないと解決は難しいです」と言った事があります。すると、「あなたは何もわかってない」と患者さんに怒られました。
「僕は家に帰れば家族も友達もいない。うつ病だってあるし、家に帰ってやることといったらテレビを見ながらタバコを吸ってお酒を飲む事くらいしかない。そんな状況なのにアルコールを止めろと言われてもできない。」
その言葉を聞いたときは我に返ったような思いで、僕の目指していた医療ってなんだったのだろうと考えさせられました。僕は患者さんの命を救いたいから医者になったわけではなく、患者さんの健康と幸福に貢献したかったから医者になった。それなのに患者さんがより良く生きていくのを助けられていないのではないか、今まで自分が行ってきた医療は自己満足だったのではないかとさえ思えてきて、凄くショックを受けました。
患者さんの本質的な問題は病院の外にあるのに、その環境に何もしないまま患者さんを帰し、また病院に帰ってきたら患者さんを責めていた。なんて上から目線でおこがましい事をしていたのかと反省せずにはいられませんでした。
「このままではだめだ」と思っていた時、初めてGPだと思いました。1週間有給を取って、診療所に見学に行きました。すぐに「あ、これだ!」と感じました。そこには「人間関係」そして「信頼」がありました。医師と患者さんとの距離が近い。僕が経験してきた病院医療に限界を感じると同時に、コミュニティ医療に大きな可能性を見た気がしました。
そしてその後、GPの専門教育に進みました。車で在宅診療に向かっている際に見た太陽が輝いて見えて、それまでどこか白黒だった世界がカラーを取り戻したように感じました。数年働いてみてこれが天職と実感しています。
プライマリ・ケアは世界的潮流
――日本の学生はGeneralismよりSpecialism志向が強いように感じますが、先生は日本の学生にもプライマリ・ケアをおすすめされますか?
高齢化、疾病構造の変化、患者さんの医療に対する意識の変容、社会・経済的な変化などを背景に、プライマリ・ケアへの関心の高まりはイギリスだけでなく世界的な流れなので、当然日本にとっても知っておくべき関連性の高いものだと思います。
ただ、そういった現代的なニーズの変化を抜きにしても僕はプライマリ・ケアを専門とする「家庭医」という存在は、いつの時代でも不可欠だと考えています。
それはなぜか。家庭医の本質的な仕事は患者さんと地域のニーズに応えることで、家庭医は自分で自分が診る問題を定義しないからです。
時代に伴い変化していく患者・地域のニーズにより柔軟に対応していくには、患者や地域のニーズに応えることを本業とする医師集団が医療と社会の接点にいることが必要です。そうすることによって、医療は患者・社会とともにより良く歩むことができますし、高度医療もその専門性をさらに発展させていくことができると考えています。
――先生は最近リーズ近くでGP診療所の開業医となられましたが、GPの働き方にはどのようなものがあるのでしょうか。
よくご存知ですね(笑)。
GPの働き方はおもにGP partnerと呼ばれる開業医、salaried GPと呼ばれる開業医に雇われる勤務医、そしてlocumと呼ばれる非常勤務医の3つです。
一番多いのは開業医です。初めの数年間はsalaried GPやlocumとして複数の診療所で働き、その後自分の好きな診療所を選び、その組織のパートナーの一人として共同経営者の仲間に入る、というのがオーソドックスなパターン。パートナーになるのはGPのキャリアの中でも最も重要な決断の一つですので、「結婚」する時のように相手は慎重に選べとも言われます(笑)。
パートナーになるには、書類審査、推薦状、評判、実際に一緒に働いた経験、面接、プレゼン、患者さんとの診察風景をカメラに取り別室からライブチェックするなどのそれぞれに診療所によって異なる選抜過程があります。パートナーを前提に診療所に入るとだいたい最初の半年から一年間はパートナーにふさわしいか判断するトライアル期間になっています。僕はいまその期間が終わったばかりです。
――どのような診療所でしょうか?
GP診療所の登録患者さんは平均が7,000~8,000人程ですが、今の診療所には11,000人なので比較的大きい診療所だと言えます。GP専門教育も行っている専攻医指導診療所(training practice)でもあるので、専攻医などを入れるとGPは10人くらいいますね。他にはナースも10人近くいて、助産師、薬剤師、カウンセラー、エコー技師、理学療法士などのコメディカルも働いています。診療所所属ではないですが、地域に所属している訪問看護師、嚥下訓練士、作業療法士などもいます。
――今後は日本に帰るなどは考えていますか?
可能性としてはあると思いますが、今のところは考えていません。まだまだやりたいことや突き詰めて学びたいことがこっちにあるのでイギリスで頑張るつもりです。GPとしても、パートナーとしてもまだまだ学ぶことがいっぱいあると思っています。
日本は何が問題なのかを判断する為の民主的合意がとれていない。
だから解決策が見えにくい。
――先生はイギリスから日本を見て、様々な医療の問題について指摘されたり、色々なところで講演してきたと思います。そんな澤先生から見て、日本の医療の一番の問題は何でしょうか?
端的に言えば、日本の医療の最大の問題点は「何が問題かわからない」という事にあると思います。もっと言うと、日本は、国として、「私たちが目指すべき医療の形は何か」「私たちはどういった社会に住みたいのか」という共通理解が得られていないことだと思います。
理念や価値観が明確でないと良し悪しの判断はできません。判断基準となる「ものさし」がなければ、何が良くて、何が問題なのか、同定できないのです。色んな国を参考に、パッチワーク的に問題解決をしていってもそれでは根本的な解決にはなりません。パーフェクトな医療制度は存在せず、国民はじめ様々なステークホルダーが同じ目標に向かって団結することが最も重要だと考えています。
何が問題か、みんなが一緒の考えのもと判断できれば、もうすでに半分解決したようなものではないでしょうか。
医師としての責任
――日本の学生に一言頂けますか?
僕が日本の学生さんに伝えたい事はプライマリ・ケアとは関係ない事で、これは学生時代の指導医からの教えで、今でも僕を支えています。
学生時代に8人班が組まれ、初めて病院実習に行った時の話です。
初めて白衣を着て、新品の聴診器を首から下げて、ドキドキしながら病院に行ったのを覚えています。指導医の先生に循環器の急性期病棟に連れていかれ、ある患者さんの心臓を聴診するように言われました。
聴診後、指導医の先生が心臓の音が聞こえたか聞こえなかったかを学生に確認し、何人か聞こえたという人もいれば、聞こえなかったと答える人もいました。
そして次にその先生から「実はこの患者さんの心臓は右側にある」と。
「私は聞こえなかったはずだと言いたいわけではない。あなたが聞こえたのならそうだと思うし、聞こえなかったのならそうだとも思う。でも私が言いたいのは、これから医師となる上で、自分の見た事、聞こえた事、考えたことはその通りに伝えなさい。周りからどんなプレッシャーがあっても。あなたは医者である前に科学者であり、科学者には自分の経験や考えを正直に伝える責任があるのだから。医者になっても今日のことは胸のどこかに留めておいてほしい」と。
今でもこの時のことを大切にし、プライマリ・ケアのことも含め、自分で考え、判断し、行動するようにしてきました。
これまでの常識と違うことを言ったり、やったりすることって、勇気のいる事ですが、そのプレッシャーに負けるなということがあの時教わった事であり、僕の医師としての責任だと思っています。
だから学生のみんなに伝えたいのは「勇気を持って、自分の頭で考え、判断し、真実を追求していくこと」。そのスタンスだけは忘れないでほしいと思います。
前半終わり。
「プライマリ・ケアは世界的潮流 英国のお医者さんに聞いてきた!」後編
へ続きます。