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フィギュアスケートで我が道を滑る

コラム

「フィギュアスケートで我が道を滑る」

金沢大学 医薬保健領域 医学類  佐藤菜乃初さん

 

 

経歴

小学校~高校をアメリカで過ごす

この期間、フィギュアスケートの選手として活躍し、フィギュアスケートの全日本選手権や国際大会への出場歴もある。

帰国後国際基督教(ICU)大学に入学

ICU卒業後医学科編入学試験の準備をし

2017年4月に金沢大学 医薬保健学域 医学類2年次に編入学する。

2018年4月より1年間休学し、主にアジア各国を廻るクルーズ船上で開催されるアイスショーに出演。(契約は1回目6ヶ月と2回目3ヶ月の2回行う。)

2019年4月より復学し、現在医学類3年生。

 

 

 

――本日はインタビューをお引き受けくださり、ありがとうございます。CATALYSTでは医学生のキャリアのヒントになる記事を目指しているので、そのあたりを重点的にお聞かせいただきたいと考えています。

 

 

――まず、一度他学部を卒業してから医学科に編入されています。医学科に編入学しようと思った経緯を教えていただけませんか。

 

元々、医師になるかフィジカルセラピストになろうかと考えていました。あと、日本の大学時代にアメリカに戻りたいと思う時期があって、アメリカの大学へ編入して大学院で現地のmedical schoolに行くことを考えていた時期もありました。アメリカの医学部に入るにはアメリカの大学を卒業していないと入学できない大学が多いのです。それでアメリカで過ごしたいなら学部から編入してアメリカに行きたいと考えていました。

 

実際にアメリカの大学の学部の編入試験を受験したのですが、見事に落ちました(笑)最初はショックだったのですが、そこから日本の医学科へ編入するぞと決意しました。以前に父親からは「お前はアスリートだったから医学部は無理だ」と言われていましたが、母親から「日本の医学部は編入学という制度があるよ」と教えてもらい、(その時は「編入」という漢字が読めませんでしたが(笑))調べてみてtransferかと思って頭の片隅にずっと入れておきました。

アメリカの大学への編入試験に落ちた後、アメリカをスパッと諦めて、日本でのキャリアを考えるようになり、その時に頭の片隅あった医学科への編入を思い出して、日本の医学部の編入試験を本格的に目指しました。

 

 

――編入試験の勉強はどれくらいしましたか?

 

日本の大学の4年生の時に、KALS(学士編入試験向けの予備校)に入って、卒業研究をしながら勉強を始めました。その後卒業して、それからもう1年勉強し合格しました。なのでトータル2年間です。

 

 

――学士編入するにあたって苦労したこと、自分が合格できたポイントだと思うことがあれば教えてください。

 

まず、苦労したのは圧倒的に日本語でした。(笑)志望動機書くのにも、まず志望動機の意味が分からなくて募集要項を読むのも大変でした。教科書を読むのも、まず漢字にフリガナを全部振ってそこから問題集の解答をひたすら書いて、知らない字を見たらそれをすぐ調べてということを最初繰り返していました。予備校も一般入試の予備校にお願いして、特別な契約を結んで、英語の先生に和訳だけ見てもらっていました。

 

自分が合格したポイントとしては、本当に単純なんですが、自分を信じたことだと思います。

 

私は自分が0から100まですることが不得意ではないということは知っていました。最初いつも私は、スポーツなどするときは、周りの人より下手なところから始まるのですが、それからの自分の成長が、exponential的に、臨界点を超えたらグッと伸びる感じになることを知っているんです。そのポイントが来ることをずっと信じて日本語などもコツコツ勉強してきました。

 

 

――へー、自分が伸びる瞬間が来るということを信じていたんですね。

 

そうですね。スポーツとかでも絶対成長期があるので、その成長期を待って勉強していました。面接は日本語の弱さを克服するために、色々な人に面接を練習してもらったり、他の人の練習を見て勉強したりして、点をこぼさないようにしていました。

 

つらいのは本当に日本語でしたし、周りのペースと比べたくなかったので、自分の世界に入らないと不安で仕方なかったです。例えばKALSで模試を受けても周りはみんな偏差値50を超えているのに、自分は問題文が読めないし偏差値も40とかで本当に危うかったですね。(笑)周りと比べずに自分の力を信じてやったのがポイントだったと思います。

 

 

――そういう伸びるポイントというのはスケートでも感じていましたか?

 

そうかもしれないですね。スケートではトリプルジャンプ1つ成功するのに1年以内でできてしまう人もいればずっとできない人もいます。自分の場合はダブルの1番難しいジャンプからトリプルに行くまで4年間かかりました。そしてその間に骨折もしているし、ジャンプができたと思ったら怪我をしての繰り返しで、そういう意味で結果が出るまでこらえる、待つということについては得意なのかもしれないですね。

 

 

――では医学部に入られた後のことですが、佐藤さんは3年次に進級するときに医学部を1年間休学して契約を結んでプロフェッショナルとしてアイスショーに出演されました。その決断に至った経緯を教えてください。もともと編入学時から考えていましたか。

 

実は編入を目指すことを決めて数か月後に親に「浪人1年で合格できたらアイスショーのオーディション受けて合格したら休学させてください」とお願いしていました。アイスショーに出れる・出られないが編入試験の結果にかかっていて、編入試験に受からないと自分はアイスショーに出られないんだというプレッシャーもありました。

 

ここまでアイスショーに思いがあった理由としては、フィギュアスケートで現役の時に、最後の全日本選手権での演技が後悔するものだったことがあげられますね。そこからスケートの世界からフェードアウトして、いい締めがなかったし、スケートをやりたかったのに中途半端な人生を過ごしていたので、親との話し合いで勉強するなら勉強だけにしなさいと言われて、親とスケートをやめる方向になったのです。なので自分の中で失恋みたいな感じ、スケートできないんだみたいな、本当に落ち込んだりしていたので、いつかまたショーに出たいなというのはずーっと思っていました。自分はスケートからフェードアウトしたし、体重の不安定さもありましたので、ICUの時は大学の周りの人にも自分がスケートをしていたことは言いませんでした。

 

編入試験が終わった時に親から「アイスショーどうするの?」といわれて、まだスケートに挑戦していいってことかと思いました。そこから2年生の解剖等でスケートの練習ができない時はありましたが、基本的に練習は行って夏休みにオーディションビデオを取るためにたくさん練習して、オーディションを受けました。だからずっと考えてはいました。

 

一回やめさせられてスケート人生終わりなんだと受け入れようとしてた時もありましたが、スケートの友人たちもアイスショーに出始めていたので、その時に自分もこれやりたいかもしれないと思い、前の大学時代の頃はだんだん気持ちがスケートに向いていっていました。

 

 

――現在の日本の医学科では、休学をして他の活動をする人は多くなくて、アイスショーの決断は普通だと勇気がいる決断かなと思うのですが、決断をする中で、迷いや不安はなかったですか。

 

決断をする中で迷いや不安はありました。会って色々な人に話して色々な意見を聞いて、やらないほうがいいと言う人もいました。自分が不安な感じを出しちゃうと、相手も「やめときな」という感じの意見を出しちゃうんですね。私はそれが嫌で、金沢大学ではちゃんと契約をもらった時までほとんど口では言わなかったですね。編入学する前に東京で色々相談したのですが、その時には、「進級大変なんじゃない?」と言われてやるか迷っていて、とりあえずオーディションを受けようかなという感じでした。不安だったけれどオーディションは受けるという感じでやりたいことをやった感じでしたね。合格した後は医学部の先生方に話をするのですが、どう伝えたらいいかを少し悩みました。

 

ですが、ポジティブに送り出してくださる先生ばかりでした。野球で休学したことがある先生もおられ、「何とかなるんじゃない」という感じで応援してくれました。こんな感じで、金沢大学はサポートがとてもよかったです。それで結構安心できました。ただ、2年生は進級が難しいので、ここで進級できなくて休学するのは本当にスケートするのが難しくなるので、留年だけは本当に怖かったですね。特に日本語で試験とかは慣れていないし、そもそも解剖でも日本語苦労していたので。

 

 

――先生は応援してくれたということでしたが、同級生とか学生の中ではどんな反応でしたか?

 

同級生は仲良かったので、離れるのは悲しかったけれど、決めた後はみんな応援してくれたので、進級を心配してくれる人もいましたが、それほど気にする事もありませんでした。運よく良い人たちに囲まれて学校に行けているので、学校にもストレスはなく、本当にラッキーだったと思いますね。なのでICUの頃より苦労してないですね。悩みがないです。(笑)

 

 

――これまでの人生で色々反対意見もあったということでしたが、反対意見に対する対処法を教えてください。

 

編入試験の受験を決意した時から強い心が持てるようになったと思います。編入試験受験を決めた時は本当にバカにされたり、「君、日本語出来ないじゃん」など大学の先生からも微妙な反応がすごく多くて、そういう意見は聞きたくなかったので、編入試験のことは言わなくなりました。適当に流してました。スケートのことも言わず、「大学院行きます」とか適当に話してましたね。アイスショーについては、スケートの知り合いからも勉強の方がいいんじゃない?と言われたこともありましたが、編入試験の時にさんざん言われたので、この1年はスケートのことで何か言われても何も感じなくなっていましたね。

 

自分の活動が珍しいというのは自分の中でもわかっていて、そういう時は絶対反対する人もいます。でもそういう反対する人たちというのは私のことを理解していない人たちなので、そういう意見を聞いてがっかりしても自分の決断は変わらないということは、編入試験の時から知っています。なので、そういう時は自分の心だけを聞くようにしています。私は本当に頑固なので(笑)

 

あと1つそういうのによかったのは、アイスショーをやっている友達に声をかけるんです。ショーに行っている友達でも、学校とか色々なチョイスの中でアイスショーを選んだり、反対意見を言われた経験もあったりするので、彼らのアドバイスはすごく聞いていました。私も帰国子女なのでやりたいことをやる系ですが(笑)、外国の本当にやりたいことをやっている人たちのアドバイスを聞くというのがアイスショーの方向に導いてくれた感じもありました。

 

 

――アイスショーに出演していた時の生活について教えてください。

 

ショーは平均して週4日あって、1日2回ありました。そしてショーの日は練習もあるので、結構疲れます。週に一回は2日連続でショーに出る状態になるのですが、その時の2日目は結構疲れがたまる感じでした。でもオフの日は観光とかができました。あと船は安全訓練が結構多くて、火事が起きた時やタイタニック号みたいなことが起きた時は、自分たちで対応しないといけないので1人1人緊急時には役割が割り当てられていて、それに関する教育も多かったですね。

 

なので私はフィギュアスケーターでエンターティナーとして行きましたが、緊急時のライフボートの使い方までも教えてもらうし、自分が予測していなかったことを色々学べたので、それはそれで面白かったですね。いい所としては、本当にやりたかったアイスショーとかお客さんの前で滑ることが気持ちいいし、楽しいし毎回それができるのはすごく良かったです。

 

またショーを週8回し、結構運動するので、怪我予防はすごく慎重にしていました。簡単な演技にすることはできるのですが、せっかく演技するなら自分のベストや難しい技を出したいので練習しますし、それで本番になるとアドレナリンが出て体を無茶苦茶動かすので、本当に体の疲れをすごく感じて色々なところに痛みが出てくるのです。それを悪化しないように心掛けていました。試合だと自分の体が痛ければ練習しないという選択も可能ですが、ショーでは毎回1人のけがのためにキャンセルされるわけではないので、自分の体の維持については選手の時とはちょっと違う方法で管理していました。

 

 

――ずっと船の中での生活じゃないですか。ストレスはたまらないですか?

 

生活は厳しく感じる時もありました。なんていうのか医学部より狭いので(笑)。好きな人も、苦手な人もみんな間近の4、5畳の部屋に2人1組で生活しているので、苦手な人でも起きてすぐ会うし、食堂もみんな同じで、本当に狭い300メートルの世界なので、自分のプライベートスペースを確保するなど居心地よく生活するのには時間かかりました。

 

 

――振り返ってみて1年間のアイスショー活動はどうでしたか?やってよかったと思うこと、エピソードがあれば教えてください。

 

振り返って何が恋しいかというと、自分のソロの出番で演技するのが恋しくなります。やってみてよかったと思うのはスケートをもう一回再開できた、体を壊すほどスケートできたのは本当に大満足でした。船に行ってすごく楽しかったのが、時期によってお客さんが全然違うんですね。長いクルーズだとヨーロッパ人やオーストラリア人が多かったり、Chinese new yearの時は中国人が多いとか、インド人が多い時期もあったり。するとお客さんの対応とかも全然違って。スケーターとしてショーに出演するだけでなくてリンクを一般開放してスケートを貸す時なども働いていたので、culture diversityのようなことはちょっと感じました。

 

スケート靴を渡すだけと思っていても、スケートはとても人気なので、いつもスケートリンクの入り口がすごく混み合っていました。色々な国の人々が混ざっている中でも効率良くそしてお客さんを満足させられるサービスを与える事がチャレンジでした。国によって並び方やマナーが違ったり、説明を聞かないとか説明を読めない人もいたので、ボディランゲージを活用して説明する時もありましたし、簡単に言うと、そういった外国人との対応でculture diversityを感じ勉強になりましたね。なのでスケートのこと、人のこと色々学べました。

 

ショーでは10人のキャストと一緒に働きます。これは社会人経験としてかなと思うのですが、10人のキャストがみんな積極的だったらその生活環境も積極的なものになるんですけど、誰かしらちょっとネガティブになったりしたら本当にネガティブエネルギーが回ってきて、そういう時は仕事していなくても船の生活が本当に嫌だなとなっていました。なので自分も1人のメンバーとして職場で働くとしたら、その中でもポジティブエネルギーになりたいなと思いそういうところも勉強になりました。最後は自分の体と心の管理ですね。そこら辺を学べたことがやってよかったと思ったことですかね。

 

 

――逆にこの決断をしてつらいと感じたことはありましたか。

 

後悔したとかはないですね。自分の人生の中でスケートのキャリアをフェードアウトしたということが人生の1番の後悔だったのでそれ以外の後悔はなかったので(笑)。だけどつらいときはありましたね。船に行って3か月後くらいに人間関係がうまくいってないわけではないんですけど、周りでちょっとネガティブな部分がすごく多かったのです。友達もいたので全体としてはすごくよかったですが、何かしら生活でつらいときはあって、部屋に籠っていた時もありました(笑)豪華客船で辛い思いをしていたとかわがままにしか聞こえないかもしれませんが、やっぱり陸上と生活システムが違うので気持ちの波はありました。しかし、辛いと感じている時でも、やっぱりショーの時間は最高でした。最終的には船生活にも慣れることができたし、やって本当によかったです。

 

 

――今後のビジョンについて教えてください。将来どのようなキャリアを考えているのか、そこにアイスショーの経験などを関連付けていくのかなどを教えてください。

 

次のビジョンはあまり具体的に言いたくないですね、批判が多いので(笑)説明しきれないくらいビジョンを持っているし、毎日ビジョンが変わるんです。だからこそ批判もありがちなんですよ。いつも変っているので、この子は絶対実行しないんだろうなという感じで見られてしまうんです(笑)。夢はいつも変っているし、ビジョンはいつも変わっているし本当に色々な人と出会って、色々な話から刺激をもらって色々チャレンジする時もあるので。

 

ただ整形外科医になりたいというのは変わらないです。私はスケートでよく怪我をしていましたし、治る過程を理解している医師になりたいと思っています。私みたいに怪我をしてもやりたいという気持ちは誰にでもあると思うんですね。やっぱり休めないとか、そういう中で痛みを軽減できる医師になりたいと思っています。

 

 

――医学部を目指している高校生にメッセージをお願いできませんか。

 

私が医学部に対して思うのは、高校生の時点で本当に医学部行きたいって思っている場合は医学部で良いと思うんですが、その気持ちに少しでも「医学部に行きたいかな」っていう「かな」がちょっとでもあるのであれば、他の学部行って色々経験したほうがいいかなということです。私は編入してそういうのを受け入れてしまっているからかもしれないんですけどね。自分はちょっと遠回りして結局医学部に行きたいっていう気持ちがそこで強まったっていうのもありますし。

 

でも逆に、もしそこが夢だったら、試験の点数悪くて周りに反対される人もいると思うんですけど、自分でも高校生の時にポロっと医者に「医学部行きたい」といったら、「えっ⁈、あなたの成績でそれ無理じゃん」って普通に言われた時もあるんですが、そういう感じのことは信じないようにとは言いたいですね。そういうことを言われるのは普通ですから。自分が医学部絶対行きたいという場合でも、医学部受験の実力は受験してみないとわからないですよね。自分の医学部に行くという夢に対して、自分の点数や成績ではなくて、自分が知っている自分の実力は医学部受験に合格できる実力かなと推測すること、これは自分でしかできないと思います。医学部に行きたい人は本当にそこの自己分析を頑張って、その上で絶対行けるわけではないリスクも踏まえて思い切ってやってしまうのがいいと思います。

 

 

――なるほど、今日は色々参考になるお話を伺えました。今日はありがとうございました。

 

 

 

編集後記

 

今回は医学科に学士編入学された佐藤さんにインタビューさせていただきました。佐藤さんはフィギュアスケートで全日本選手権に出場されていたりして、才能があって華やかな人生を送ってこられたのだろうなと思っていたのですが、意外にも周囲からの批判が多かったり、最初は周囲よりうまくできなくて、それでもうまくなるタイミングが来ることを信じて練習・勉強することでここまでやってこられたと聞いて、批判に対する対処法や、物事がうまくいかない時の考え方など佐藤さんに学ぶことがとても多いように感じました。そして何より佐藤さんは自分の人生を生きておられるなと感じました。自分の人生は自分にしか生きれないということをインタビューを通して思い出すことができました。

 

 

 

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