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ザンビア挑戦記 ~診療所建設プロジェクトから見えてきたもの~ 前編

コラム

ザンビア挑戦記 ~診療所建設プロジェクトから見えてきたもの~

秋田大学 医学部 医学科  宮地貴士さん

 

 

経歴

2015年4月 秋田大学医学部医学科に入学

2017年2月  IFMSA-Japanで活動を始める

2019年4月 任意団体「ザンビア・ブリッジ企画」を立ち上げる

現在秋田大学医学部医学科5年生で休学中

 

「ザンビア・ブリッジ企画」代表

平成30年度JASSO優秀学生顕彰<社会貢献>大賞受賞

トビタテ!留学JAPAN 9期生

 

 

今回はザンビアの村に医療を届けるために現在休学して診療所建設プロジェクトに取組まれている宮地貴士さんにお話を伺いました。このプロジェクトを通して表彰されるなど社会的に高い評価を受けている宮地さんですが、プロジェクトではうまくいかないことや、その中での気付きも多くあったようです。今回のインタビューではこのプロジェクトを始められた経緯から、プロジェクトを通して得た様々な気付き、人とのつながりやプロジェクトを発展させてるために心掛けておられること、様々な意見の中で宮地さんがされてきた決断に至った経緯についてもお聞きしました。

 

ーー本日はインタビューをお引き受けいただきありがとうございます。宮地さんの考え方などに迫れたらと思っていますので、よろしくお願いいたします。

 

 

まず、医学部に入られた経緯について教えてください。

 

中学2年の時に国境なき医師団の存在を知って、それで志を持って人を助けるという職業にすごく感動して、それで医師になりたいという自覚が芽生えたのを覚えています。

医師になる覚悟を決めた、絶対に医師になろうと思ったのはスーダンで活躍している川原尚行先生という先生を知った時ですかね。川原先生はロシナンテスというNGOを設立して、医師だけでなく「医療はすべての生活につながっている」ということで、病気にならないように -例えば水が汚いから感染症が広がるようであれば井戸を掘るとか、教育が足りてないということであれば学校を作って教育をするなど- 社会的にすべてのことをされている医師の方がおられるのですが、その人をNHKのプロフェッショナルで見た時に、こういう医師になりたいなと思いましたね。それが直接的な覚悟を決めた瞬間かもしれないです。

 

 

では、医学部に入られた後も社会とのつながりが深い活動をしていこうと思われたのですか?

 

最初はそこまでではなく、部活をしてましたね。野球部でした。小学校入学前からずっと野球をしていて、そのノリで野球部に入り部活を楽しんでいました。ザンビアの活動は2年生の春休み(2年と3年の間)にザンビアに行って活動を始めました。そもそもザンビアに行くようなメンタリティになったのは、大学2年生の夏にスーダンに行って、実際に川原先生にお会いしたのが大きかったですね。

 

スーダンで川原尚之先生(真ん中)と宮地さん(右)

 

 

どういったところが自分の中で大きかったのか教えていただけませんか?

 

やはりずっと憧れの存在だったのですが、憧れの存在ってだけだとある意味すごい距離があるので、将来そういう活動をしたいと漠然と思っていて、だから今何かやるというよりも医者になって自分も内科医とかになってスーダンに行くんだみたいな。

常に先のこと、夢ばっかり膨らませていて、実際は何も行動していない自分がいたのですが、川原先生と出会って、医師だからとかという肩書ではなくて、川原尚行という人として今自分で目の前の人のためにできることを行動に移していて、それを見た時に自分も今行動に移さないとっていうのをすごい感じたんですね。なので自分も今行動に移せるし、別に医師だからできるとかという話ではなくて、今普通に宮地貴士という人間として今困っている人や目の前の人にできることがあるのではと感じて、憧れの存在、雲の上という感覚がなくなって、本当に目の前にいる大きな背中のおじさんという感覚になったので、この人を超えてやろうというパッションが出てきました。

 

 

そうなんですね。やはり人と直接会うというのは大事なのですね。

 

直接人と会うのは大事ですね。やはり夢で終わらなくなりますね。その人がやっていることを目の前で見れたら、ああこういう風にやっていけばいいんだということもわかるので。

もともと、IFMSA-Japanという団体に入っていて、スーダンもあの団体の1つのプロジェクトとして行ったんですね。IFMSAのプロジェクトには元々スーダンのものはなかったのですが、自分が川原先生にお会いしたかったので、自分でFacebookで連絡したら、たまたまつながって、「いいよ」ということだったので、それで行きました。ザンビアもIFMSAつながりなんですけど、元々僕が入っていたアフリカビレッジプロジェクトというのが、10年間くらいずっとザンビアに学生を派遣して、現地の医療を学ぼうという内容のもので、吉田修先生がコーディネートされていたのですが、その吉田先生からザンビアのお話をいただいて、今マケニ村というのがあるから君たちもやってみないかといわれて、そのお話をいただいてから僕が春にザンビアに行ったという感じですね。

 

吉田修先生(右)と宮地さん(左)

 

 

なるほど。そのようにしてザンビアの活動を始められて、現在は宮地さんは休学されています。もしよければ休学に至った経緯を教えていただけませんか?

 

直接的な理由としては、自分達が2年間やってきたプロジェクトを完了させたいという思いが一番強くて、それがマケニ村というところでの診療所建設プロジェクトなんです。それで、これまで休学しないでやってこれたのは、現地でMakeni Ecumenical Centerという団体と協力してやっていて、僕たちはお金を集めてそれを向こうに送って、プロジェクトとしてやってくれていたんですけど、現地の村の分裂があったりして、現地でのプロジェクトが結構宙ぶらりんな状態になってしまったんですね。それでも自分たちは2年間必死で活動してきたっていう背景があるので、なんとか向こうに僕が行ってプロジェクトを再建したいというか、無事に完了させて村の人たちに医療を届けたいなという思いで今回休学することになりました。

 

 

最近宮地さんは、フィリピンに行かれたり、国内でも秋田の医療の現状についてまとめて記事を書かれたりとか、インターンシップなどもされており、医学のみならず金融や宗教まで多様なことについて勉強されておられます。医師以外の方にお会いしたり、医学以外のことも学ばれたりされている背景にある宮地さんの考えを教えていただけませんか?

 

根本には自分が医者になりたいとか医療をやりたいという思いというのは全然なくて、あくまで自分が関わっている人たちがどうしたら幸せになれるかというところで考えると、医療というのは手段の1つでしかないので、なので興味が色々なところに行ってしまうというのがあると思います。そもそも、僕が医師を目指したときに川原先生の影響をものすごい受けていて、川原先生のNHKの名言で「病の背景を治療する医師になる」という言葉があって、それが僕はものすごい好きで、病気という事象を治すだけではなくて、その背景にあるものは何なのかを読み解こうとすると、すべてのことが関わっているので、なのでそこは勉強したいなと思ったのがまず1つです。

あとは色々な人に出会っているのは医学だけ学んでいたら本当に視野が狭くなるっていうのはすごく感じるので、だから意図的に他の人に会ったりとかすることで、勉強することだと、例えば金融とか経済を学んでも自分だけで勉強するというのは非常に難しいので、だったら誰かの勉強会に参加するとか、その人とディスカッションしていく中で自分の疑問とかをぶつけていくと、でもそれがものすごい常識はずれなことだったりするので、そういうのをディスカッションしていく中で色々学びたいなっていうので色々な人と会っていますね。

あとは3つ目の理由として、ザンビアで事業をずっとやってきて、その村の人が対立するとかがあるんですが、そういう時に全然自分が向こうの人たちの価値観により添えていなかったっていうのをものすごい感じたんですね。医療を届けるというのはある意味で良いことではあるんですけど、本当になんで彼らが医療を欲しているのかとか、「医療」っていう言葉もものすごい抽象的なワードで、もっと医療を細分化して医療の何が必要なのかというところまで全然因数分解もできていなかったし、彼らの価値観から考えた時に医療ってどういうものなのかも全然考えられていなかったっていうのが反省としてあって、だからこそ、価値観を形成するものとしては歴史はすごいし、地理的な要因ももちろんあるし、あとは経済的な状況というのもものすごい関わっているし、1つ医療についてとってみても、それを取り巻くバックグラウンドにものすごいすべてのものが関わっていて、だから今休学して時間がある時にいったんさらに見識を広げたいなという思いもあります。

 

 

日本と現地で医療を取り巻く環境の違いというのはどういう例がありますか?

 

そうですね、例えば今の村でも10人くらい子供を産む人がいて、彼らもそれだけ産んだら、何人かは死んでしまうというのが分かってはいるんですね。でも本来日本にいたらそれはあり得ない感じで、だったら最初からもっと産む人を減らそうよと思うんですけど、でも彼らにとってみれば経済的な事情があって、子供が多くないといけないんです。

ある意味農家にとってみれば子供は労働者ですから。そいうのを話す時に確かに自分たちが思っている命に対する重み、価値観、「絶対産まれてきたから生きるべきだ」みたいなものは、結構現地だと違うような気がして、だからそこらへんのことを踏まえると、僕の価値観を絶対押し付けてはいけないというのを感じますよね。そういう時に今の経済的な状況がどうなっているのかとかそういうところまで考えられないと、すごい薄っぺらいただの僕の正義感を押し付けるだけになってしまうんですよね。

こういうのを薄々感じてはいたんですけど、上昌広先生(医師、特定非営利活動法人 医療ガバナンス研究所理事長)が怒ってくれたんですよね。ザンビアのことに関わって1年半ぐらいの時に、ザンビアでやっているプロジェクトについて話した時に、結構色々な質問をされて、全然自分がザンビアについて知らなかったなっていうのをかなり反省しました。当初はプロジェクトが失敗したこと(現地の村が分裂したことなど)に対して、色々な言い訳をつけていたんですよね。

例えば、僕の責任というよりも、やっぱり人を甘やかすのって良くないなとかとか言ってたりしたんですね。支援で僕が日本から物資やお金を届けるということをやってしまうと人を甘やかして、それが失敗に導いてしまったんだということを平気で言っていて、確かにそういう面もあったかもしれないんですけど、じゃあザンビアの人たちが大切にしているキリスト教というものがどういうものなのかとか、あとはザンビアにはどういう植民地の歴史があって今こういう問題が生まれているのかとか、そういう本質的なところをすごいすっぽ抜けにして表面的に支援が良くないとかガタガタ言っていたのでそれに対して怒られて、そこから学ぼうと思いましたね。

 

上昌広先生(左)、宮地さん(真ん中)

 

 

なるほど。宮地さんはこのように色々な方にお会いしたり、色々な勉強をされていますが、では、そういった活動に必要な情報というのはどういったところで得ているのかや、人と会うのに工夫されていることを教えていただけませんか?

 

人と出会うおうと思ったら、イベントとかに行けば出会えるんですけど、ああいう名刺交換をしただけの出会いというのはものすごい薄くて、実際困った時に相談できるかって言ったら、結構できないものなのかなと思っています。だからただ出会うだけなら何の意味もなくて、一本一本のパイプをどれだけ太くするかというのがすごい大切なのかなと思っています。

僕が人と出会うのは大体紹介なんですけど、紹介から出会った時の成功率というのはものすごい高いなと感じています。上先生と出会ったのも、僕たちがイベント開いたときに来てくれた方が上先生とつながっていて、その方から「ものすごい面白いお医者さんがいるからつなぐよ」といっていただいて出会いましたし、財務省の事務次官だった佐藤さんも上先生からつないでいただいてという感じで今の活動については紹介で出会っています。だからしっかり紹介してもらえるように、人と出会えた時は感謝します。ただこれは結構当たり前のことなんじゃないですかね。だから当たり前のことは大切にして、あとは自分自身が必死になって例えばザンビアのことはやっているので、自分の軸があると結構紹介してもらいやすいような気がしますね。

あとはSNSでいえばFacebookやTwitterをやっていますけど、Facebookで得られる情報は結構多くて、非常に面白い記事があったら普通にメッセンジャー送って「会ってください」とお願いしてお会いしたりもしていますね。スーダンの川原先生の時もそうでしたし、医師をしながら海外で色々な活動している人が最近増えてきているので、そういった方にアポを取ったりしています。

 

 

そうなんですね。メッセージを送ると結構会ってもらえているんですか?

 

今のところ100%な気がします。何を相談したいかはもちろん明確にしないとだめですし、あとは最初に読んでもらわないとだめなので、文章の書き方も最初が大切ですよね。人と会うのは自分の場合エネルギーを使うので、ただひたすら会うというのはないですね。あとは、ググれば出てくる情報というのはかなりあると思うので、有名な会社であればそれなりにビジネスモデルや、どこから出資されているのかなどは出ていたりするので、ググり力みたいなのはすごい大切ですよね。ググって得られる情報で満足するのであれば、会うまで行かない時もありますし、ググってもここだけ聞きたいってなったらそれは会いに行きますし。

 

 

そうなんですね。では次に話題を変えさせてください。ザンビアの活動について今年IFMSAから独立されて「ザンビア・ブリッジ企画」を設立されました。このプロジェクトの目的として診療所を建てることがありますが、この目的に対して、単にお金を集めるだけではなくて、ザンビアのお好み焼きやザンビアの民芸品を日本で売ったりされていて、ザンビアの文化を日本に紹介することにも力を入れておられるんだなと思ったのですが、なぜそのようにしているのかについても踏まえてザンビアの活動について教えていただけませんか?

 

そもそも「ザンビア・ブリッジ」という名前にした理由が、僕たちがやっている支援活動が何もこっちからのいわゆる支援で一方的にいいことやって終わりと言うわけではなくて、向こうからも学べることがあるよねということが根本にあります。なのでザンビアから日本に持ってくるものがあるし、もちろん日本からザンビアに医療を届けるけど、ザンビアからも何か日本に持ってこれるのではないかというのを企画名に込めています。

例えば、途上国に行ったことがある人だとわかるかもしれないんですけど、今マケニ村に関わっていて、マケニ村とかいわゆる貧困って言われる、お金で見れば平均年収が低くて貧困状態って言われるところなんですけど、僕が一番好きなエピソードはご飯食べる時に薪で火をつけて口で風を注ぎ込んで火を焚いて、水も沸かして、料理するだけでもすごい時間がかかるんですよ。でも手間がかかるからこそ、子供と親の会話みたいなのがものすごいあって、「今日も学校どうだったの?」とか、「今日は先生に怒られなかった」とか、「あの子、今日元気だった」とか、そういう会話がたくさん生まれるんですよね。

で、日本だったらみんなわちゃわちゃしてコンビニで10分くらいでご飯なんか済ませられるくらいに発展したんですけど、その村とかでは30分、1時間かけないと料理すらできない、でもそれがあるからこそ、そういった会話が生まれるというのがあって、そういうのを見たときに、確かに医療で困っているかもしれないけれど、別の部分だったら全然日本より発展しているんじゃないかとか、一人一人の人間らしさみたいなものは圧倒的に日本よりあるよなという感覚で、なので一方的な支援ではなくてそういったザンビアの良さをこっちに持ってきたいなということで取組んでいます。

また活動自体についてはもともと中心的なメンバーは7人だったんですが、6年生が抜けてしまって現在は中心的なメンバーは3人です。3人でも本気になればこなせますし、風通しが良くてオープンで意思決定も早くていいですね。あと日本でお金を集めるという大きなミッションは達成しているので、そこがない分楽なところはありますよね。

 

ザンビアで活動する宮地さん

小学校のボランティアの先生に村の生活についてインタビューをしている

 

ザンビアで活動する宮地さん

ヘルスボランティアの人と話をしている

 

 

プロジェクトに関連して伝えたいことなどがあればお願いします。

 

色々海外にも目を向けてほしいなということと、海外に行くということであれば、まず普通に来てほしいなというのがあります。JICAやWHOのインターンで行くとかも多いんですけど、肩書みたいなところに入っていくのではなくて、まず普通に自分の足で歩いてきてみるのが一番だと思うので、ふらっとザンビアに来てほしいなと思います。ザンビアに来てください!!(笑)

 

ザンビアで活動に関わっている人たちと

左から川本歩さん、吉田修先生、宮地さん、川原尚之先生、中村哲郎さん

 

 

後編へ続く

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